運営者情報

タイベオ先生

こんにちは。「ハノイのタイベオ先生」を運営している Thái Béo(タイベオ) と申します。

ベトナムの首都・ハノイに移り住んで、もう10年以上が経ちました。
日本人の多い場所にはほとんど行かない。友人のほぼ全員がベトナム人。妻もベトナム人で、日本語は話せません。今の私の生活は、朝起きてから夜眠るまで、ほぼすべてがベトナム語です。

ベトナム語は、もはや「勉強する言語」ではなくなりました。家族と話すための、友人と笑うための、この街で生きていくための言葉です。

目次

ベトナム語を選んだ理由

語学が好きでした。でも、英語や中国語には不思議と気が向きませんでした。
「学習者が少ない。でも、これから確実に需要が出てくる。」——そんな直感から2007年頃、何となくベトナム語の勉強を始めました。

最初は市販のテキストをかじった程度です。当時はベトナム語教室もオンラインレッスンもほとんど存在せず、独学で続けるしかありませんでした。

住んでいた神戸市長田区には、ベトナム人のコミュニティがあって、ベトナム語で話す機会が少しありました。そこで会話への興味が芽生えて、しばらくすると勉強法を「多読」にシフトしました。ベトナム語の文章や本をひたすら読み込んで、語彙を積み上げながら文法の仕組みを帰納的につかんでいく方法です。

読み書きはある程度できるようになってきた。でも、会話と聞き取りはまるで伸びない。

次第に興味も薄れて、3年ほどで一度やめてしまいました。

ハノイへ。サバイバルが始まった。

転機は2015年です。仕事の縁があって、ハノイへ移住することになりました。

最初の5年は、技能実習生の送り出し機関やハノイ市の公立中学校で日本語教師として働いていました。日本語を使う仕事をしていたので、100%ベトナム語漬けというわけにはいきませんでしたが、プライベートではベトナム人と過ごす時間をできるだけ増やしていきました。

そして気づいたら、日本語のわからない友人だけに囲まれていました。

コミュニティに入れてもらうために、ベトナム語を使い続けました。うまく伝わらなくても、拙い言葉でぶつかっていきました。意識して語彙を積み上げていったら、少しずつ会話が成立するようになってきました。その頃から、ベトナム語への感覚が変わりはじめた気がします。「勉強している」という感覚が薄れて、自然にベトナム語で考えるようになっていきました。

15歳年下のベトナム人女性と結婚した話

2017年、ハノイで知り合った女性と結婚しました。
15歳年下で、日本語はほとんど話せません。

交際も、プロポーズも、結婚の手続きも、全部ベトナム語でやり切りました。
彼女のご両親への挨拶もベトナム語でした。今思い返すと、よくやったと思います。

今でも夫婦の会話はすべてベトナム語です。二人ともそれが当たり前になっています。お互い初婚だったので、結婚生活のスタートから、日本語という逃げ道がまったくない状態でした。それが良かったのかもしれません。

このサイトを作った理由

コロナ禍で職場の環境が変わり、ベトナム語とじっくり向き合う時間が増えました。
そのタイミングで、このブログを立ち上げました。

テキストだけでは絶対に学べないことが、ベトナム語にはたくさんあります。
発音の細かいニュアンス、会話のテンポ、言葉の裏にある文化的な感覚——そういうものは、現地で生活しながらでないと身につかないことが多いです。

私自身、独学で行き詰まり、一度やめて、移住というサバイバルの中でやっとものにしてきました。遠回りもたくさんしました。そのぶん、「どこで詰まるか」「何が効くか」は、実感として持っています。

このサイトが、あなたのベトナム語学習の地図の一枚になれたら、こんなに嬉しいことはありません。

ベトナムと日本、これから

1980年代、ボートピープルとして日本に渡ってきたベトナム難民の時代から時代は変わりました。今では日本中どこの街にも、若いベトナム人が暮らしています。技能実習生、留学生、そしてエンジニアや研究者——その存在感はこれからさらに大きくなっていきます。

現在はベトナムの現地IT企業でベトナム語・日本語の翻訳とWebマーケティングを担当しています。副業として日本人向けのベトナム語コーチングも行っています。ベトナムと日本がビジネスでも文化でも深くつながっていく時代に、言語を通じて少しでも橋渡しになれたら、と思っています。

ゆっくりですが、愚直に続けていきます。

2020年9月 開設

「ハノイのタイベオ先生」運営者

Thái Béo(タイベオ)

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